煩雑なことを非属人化し、創造性を高める
著者: 萩原正義ソフトウェア開発の完全な自動化は目指すべきではありません。
DSL(ドメイン特化言語)のスコープを十分に小さくし、生成コードの実行をWebアプリケーションの特定フレームワークに限定すれば、完全な自動化は可能となるでしょう。しかし、この自動化はDSLのスコープが限定された小さな問題領域と特定の実装技術に対してのみに有効であって、一般のソフトウェア開発が対象とする広範な問題領域、実装技術の選択肢に対して有効な解とはなりません。
それでは、問題領域を小さな部分問題に分割して、それぞれの部分問題を解くためのDSLを複数組み合わせる方法や、逆に1つのDSLのスコープを広げて汎用性を高める方法でのソフトウェア開発の完全な自動化は可能でしょうか?
前者は分割したDSL間での依存関係や相互作用がまったく存在しない「直交化」した問題に関しては可能となるかもしれませんが、一般にはこのような単純な問題は少ないで、しょう。後者は、DSLはもはや汎用開発言語の範鴎になり、一般のプログラミングによる開発となんら変わりがなくなり自動化は難しくなるでしょう。
DSLやその他の開発ツール、モデル駆動型開発は、繰り返し起こる煩雑な開発を自動化することで省力化を行うためであって、ソフトウェア全体を自動化する目的で使うべきではありません。それほどソフトウェア開発は単純なものではありません。また、問題領域あるいは解決領域のスコープ自体も、ビジネスの進化、ソフトウェア技術の進化、要求の変化によって、固定的な定義で収まるものではありませんから、ソフトウェア開発の自動化の対象領域自体の前提も成立しなくなります。進化しないソフトウェアはいずれ価値を失い、自動化の有効性はなくなるでしょう。
このように間違った目的を目指して技術を適用しようとしても失敗することは歴史が証明しています。進化するビジネスや技術、変化する要求の中で、不変の規則、原理を発見し、この規則と原理に基づき自動化するならば有効な解となるでしょう。不変の規則と原理は繰り返し現れるので、煩雑さを非属人的な方法で省くことが可能となります。
その上で、創造性や進化が求められる部分に人間の知的作業を集中させることで、ソフトウェア開発の工業化が可能となると考えます。ソフトウェア開発の工業化を大規模な製造の自動化と考えるのはよく見られる誤りです。ソフトウェア開発での工業化は、人による創造性や知的作業と自動化の分担で実現し、その意味では、ソフトウェアは完全な工業製品というより、むしろ人の創造力を含んだ工芸品を目指しているといえなくもないでしょう。技術と創造力を融合したソフトウェア開発の在り方は、筆者の考える「ソフトウェア工芸」の捉え方の基になっています。